外出自粛で暇任せ



中身が無さすぎる。ゴミと言ってもいいが。その時は何か考えていたのだろう。

時空旅行という言葉が気に入ったようだ。

時空旅行

旅行とはどこかへ行って帰ってくる。

物理空間では分かりやすい。

時間空間では、行くことも戻ることもできない。タイムマシンでもない限り。と言うか、どういうロジックが成立するのかさえ分からない。

SFはあまり深刻に理屈付けはしないからさらっと済んでいるが、恐らく矛盾だらけだろう。

回帰

この言葉も多分お気に入り。 元に戻ること。何処かのお勉強で出てきたがよく分からないままに終わったな。

回帰でなくて回想になりそうだ。もしくは元の木阿弥。

100年

まあ。人間100年生きたとして、肉体は土に帰り、精神は天に上ることには変わりはない。生まれてきたことは、罪なのか、祝福なのか。もらったものは全て返すことになる。

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(道草)



面白い言葉が並ぶ。ネットをチェックするときちっと収集してくれている人がいる。一人や二人ではない。彼らの努力に感謝。

シーズンの数とエピソードの数は相当数だけど、もう完結しているのかな。いずれにせよ、眺めるだけでも日が暮れそう。

名言とは、感動できる。心構えが変わる。行動が変わる。視点とか着眼とか発想が新しい。未経験。時代の感性を象徴している。

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タイムスタンプ「忘れな草」






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毎日どこかで見たまま聞いたまま。心に刻むタイムスタンプ。 ナナ _ _ 









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タイムスタンプ「忘れな草」

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欲はあるのに夢がないことに気づく寂しさ

欲はあるのに夢がないことに気づく寂しさ

競争社会の中でパワーゲームに明け暮れて、気づいたら自分には何の夢もなくなっていた。会社のためと言いながら他人の夢ばかりを手伝っていたとしたら、組織の自己増殖の歯車になっているとしたら寂しいね。定年になる前に、そのことを強く意識したらサラリーマンは早期退職。

それに、夢も欲も大して違わないかもしれないし。

少年の自分を取り戻せ/少女の自分を取り返せ

少年の自分を取り戻せ/少女の自分を取り返せ

捨てた希望、諦めた夢、心の奥に閉まっておいた輝く言葉。もう一度、思い起こして一つずつなぞってみる。わくわくするものが一つでもあれば、心の奥から引き出して、少年時代/少女時代にタイムワープ。周りの景色も、自分の筋肉も神経も、時には感性すら、昔とはまるで違っていることに気づくだろうが、その時に、再び臆病な自分を見つけるのか、依然として輝く心を見つけるのか、第2の人生は自由に決めればよい。来た道を戻るのは決して恥ずかしいことでもない。夢は夢のままにしておく人生もあってよい。

無様な自分をすら楽しむ心があるのなら、もう一歩進んでみてもいい。

社会貢献とか、社会的責任とか、一度忘れてみよう。

定年とは何だ?

定年とは何だ?

<労働者としての耐用年数>

物がまともに動いても交換期限ですからとパーツを交換する。保障耐用期限。こちらが60までは保障しますと言った訳でもないのに60を期限して働く。どういう訳か今はそれが65になった。財政難と労働人口不足の解消かな。財政難はさらに厳しくなって益々年金が出せないから70になるのも時間の問題だが。

人間はパーツ以上に個体差が大きい。定年間近の人を何人も見ているとその違いの大きさに驚かされる。やっと休める人と、もう休みかという人ぐらいの差がある。

<権力者の利権解消>

長くやれば固有の利権構造が出来上がる。腐敗を生む。不正を生む。権力への執着を断ち切る制度。そういう側面もある。

<社会的責任からの解放>

家族や親戚をはじめ、社会的なしがらみから解放される。ここまで働けば凡そ責任は果たしたと言える制度。

子供のころは将来に対する責任のため、親や周囲の期待のため、社会的使命のため、やがては就職のため、会社のため、そして直ぐに家族のために、働き続けた。子供が家を出ても、本当に自立するまではなんだかんだと手が掛かる。だから定年後も働き続ける。

リサイクル品でもパーツとして通用する仕事口を探す。何も解放されていない。運のいい人、本当に手際よくやった人にしか解放の二文字は与えられないのかもしれない。

でも、そういうのは考え方一つだ。全てに安心を得るなんてことは出来ない。安心を買うために働き続けるのは、実に切りのない話だ。100%もなければ決まった平均値もない。自分の無意味な中流意識が人並みを望んだり、モアベターを望んだり、比較でものを判断しているうちに、自分を失ってしまう。

今一度、定年とは何だ?

十分働いて家族へも社会へも責任を果たした。果たしたことの一部が定年を機に還元され始める。そのようなことも前提に、しがらみを乗り越えて、再出発を期する日。もう一度、人生を選択する日。

従来のように家族7割、世間2割、自分1割でも構わないし、全く違った人生のポートフォリオ?でも構わないし。グズグズ人生もキッパリ人生も自分次第。

定年を強く意識しようが、再雇用の中でずるずると進もうが、とっくの昔に失業中であろうが、定年の関所を通り抜けて誰でも何かを選択している。もう誰かのために自分が犠牲になるのではない。自分でその道を選んだのだから。だから、定年は覚悟を決める日でもある。

全ての人にとって正しくない定年は存在しない。それぞれの定年ということだ。


ガスコンロを付けっぱなしにして、携帯電話も持たずに、何処かのおばあさんとランチをしにおばあさんの運転で出かける馬鹿女。

謹賀新年

 

007年1月 1日 (月)

謹賀新年

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謹賀新年。昨年は志を途中でくじく結果になって散々でしたが、その分、人の温かみにも触れることができて感謝の一年でもありました。厳しさは当分続 く見通しの中、ようやくにして新年という感慨ですが、今年も自分らしく又一所懸命歩いて行きたいと思います。今年もよろしくお願いします。
写真は11月4日の散歩のときのものです。自動車学校の前に咲いていたもの。名前は知らないのですが、花弁が可愛いですね。

コスモスはまだ元気

2006年11月 4日 (土)

コスモスはまだ元気

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今日も愛犬?の散歩です。川沿いに1キロくらい歩いてから方向を変えて、民家を抜けて帰途に付きます。大分と寒くなってきましたが、途中で見かけたコスモスは色も鮮やかにまだまだ元気。

久しぶりの松本


2006年5月 5日 (金)

久しぶりの松本

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久しぶりの松本です。

お堀の中の鯉。

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